カラスといえば不吉とか、ゴミ置き場の生ごみを食い散らかすといって嫌われる。
その動きを見ていると、小さな犬を嘴でつついてからかったり、鳩を追いかけまわす、雀の群れに突っ込んで蹴散らすのは日常。
鬼の居ぬ間にではないが、ここ1か月ばかりカラスを全くみかけなかった。
すると、どこからやってきたのか、雀にムクドリ、ヒヨドリの大群が近所にやってきて、電線にずらりと並んでいる。
ずらりと並んでいるだけならましだが、こいつらがフンをするので、電線の下は石灰でも撒いたかのごとく白くなっている。
ところが、今日の午前中に突如としてカラスが数羽飛んできて、雀からヒヨドリ、ムクドリを追いかけまわしていた。その空中戦のすさまじさには目を見張る。
すると、静かになったと思ったら、ぴーちくぱーちくの鳥の大群がピタリと居なくなった。カラスも困りものだが、フン公害を駆除するには、カラスが役立っているのかと思うと、生き物は皆、共生していることがわかる。我が家のベランダのフン公害もこれで終了。
2010年02月09日
今年は「嘘」の年?
トヨタ、小糸、民主党、「嘘」が露見している。
何年か前は偽装問題だったが、今年は「嘘」の年か。
自動車のブレーキ、航空機の座席、そして、マニュフェスト。
まだ新しい年が始まったばかりというのに、「嘘」が続いているが、今度はどんな「嘘」が出てくるのだろう。
トヨタ、小糸、民主党、世界に向けて日本は「嘘」の国と宣伝してどうする。
何年か前は偽装問題だったが、今年は「嘘」の年か。
自動車のブレーキ、航空機の座席、そして、マニュフェスト。
まだ新しい年が始まったばかりというのに、「嘘」が続いているが、今度はどんな「嘘」が出てくるのだろう。
トヨタ、小糸、民主党、世界に向けて日本は「嘘」の国と宣伝してどうする。
高嶋嘉右衛門の墓
泉岳寺は赤穂浪士の墓所があることで有名だが、「殉節三烈士」の墓を参拝に出向いた結果、高嶋嘉右衛門(たかしまかえもん)の墓とばったり出くわしたことは先に述べたとおり。思いもかけない発見に、あの「高嶋易断」の高嶋嘉右衛門の墓なのかと、ものすごく得した気分だった。墓の前には高嶋嘉右衛門の孫になる高嶋嘉和氏による顕彰のプレートが立てられ、その実績を理解することができる。(平成六年十月 建之)
《高嶋嘉右衛門は天保三年(一八三二)江戸に生れ 幕末激動の時代 波乱に満ちた青年期を送る。 三十九歳にして人材の育成を唱え 横浜に高嶋学校を設立す。 明治四年 鉄道事業の必要性に着目 京浜間の鉄道敷設を図る。 更に横浜の埋立て・北海道の炭鉱開拓と航運事業等々そのすぐれた先見に基づく幅広い事業が国家・社会に貢献した所は極めて大きい。 今も残る横浜高嶋町の名はその由縁による。 中でも明治五年 横浜に日本で初めて瓦斯燈を点ずる偉業を遂げ 翌々年横浜へ御臨幸の明治天皇は特に謁を賜りその功を嘉せられた。 明治九年に実業界を退隠の後は呑象と号しかねてより造詣を重ねし易経を更に極め大著『高嶋易断』を脱稿 これを英訳 漢訳して世に出す。 清国李鴻章・袁世凱らこれを読み「易は中国に興り中国に亡び而して今日日本に興れり」と驚嘆かつ激賞す。 大正三年十月 横浜高島山にて静かにその八十三歳の生涯を終わる。》
この高嶋嘉右衛門の業績の中で、「明治四年 鉄道事業の必要性に着目 京浜間の鉄道敷設を図る。」という箇所は注目に値するのではないだろうか。今では、汽車どころかリニアモーターカーの時代だが、汽車という存在すら認識できない明治時代に高嶋嘉右衛門がその将来を予見して鉄道を敷設を計画したということは驚くばかり。明治四年(1871)といえば、明治政府は廃藩置県を断行したばかりの頃のことになる。
新橋、横浜間を起点する鉄道が延伸していくなかで生まれた鉄道唱歌だが、その鉄道唱歌に謡われた泉岳寺に高嶋嘉右衛門が眠るというのも不思議な因縁を感じざるをえない。
そして、高嶋嘉右衛門は清国の李鴻章・袁世凱から激賞されたように「易」を発展させたのだが、意外にも、この迷信とも思われる「易」がコンピューターの原理と同じであることは知られていない。「易」は陰と陽の卦によって物事を予想していくが、これはプラスとマイナス、0と1の組み合わせで成り立つコンピューターの原理原則と同じである。欧米の科学者ですら、この「易」の存在を知って驚愕したという。
清国の李鴻章・袁世凱という宰相たちは高嶋嘉右衛門という日本の経済人であり教養人の実績を認めたわけだが、後に、日清戦争によって高嶋嘉右衛門の日本が敵国になるとは予想だにしなかったのではないだろうか。しかしながら、高嶋嘉右衛門はみずから編纂した「易」によって日清戦争の勃発を知っていたという。その日清戦争の犠牲者である「殉節三烈士」の墓が泉岳寺にあるというのも、不思議な関係と思うばかり。
もうひとつ、この泉岳寺というか、都営地下鉄「泉岳寺」駅のホームから見てもらいたいものがある。それは、この都営浅草線のレール幅が新幹線と同じ世界標準のレール幅で敷設されているということ。京浜鉄道として新橋、横浜間の日本最初の鉄道はレール幅が狭いもので敷設されているが、やがてこれが日本の標準サイズとして起伏と左右の曲がりの多い日本の鉄道網の原型となっていく。
東京の街、歴史と近代が入り混じった成長の足跡をそこここに見ることができる。
《高嶋嘉右衛門は天保三年(一八三二)江戸に生れ 幕末激動の時代 波乱に満ちた青年期を送る。 三十九歳にして人材の育成を唱え 横浜に高嶋学校を設立す。 明治四年 鉄道事業の必要性に着目 京浜間の鉄道敷設を図る。 更に横浜の埋立て・北海道の炭鉱開拓と航運事業等々そのすぐれた先見に基づく幅広い事業が国家・社会に貢献した所は極めて大きい。 今も残る横浜高嶋町の名はその由縁による。 中でも明治五年 横浜に日本で初めて瓦斯燈を点ずる偉業を遂げ 翌々年横浜へ御臨幸の明治天皇は特に謁を賜りその功を嘉せられた。 明治九年に実業界を退隠の後は呑象と号しかねてより造詣を重ねし易経を更に極め大著『高嶋易断』を脱稿 これを英訳 漢訳して世に出す。 清国李鴻章・袁世凱らこれを読み「易は中国に興り中国に亡び而して今日日本に興れり」と驚嘆かつ激賞す。 大正三年十月 横浜高島山にて静かにその八十三歳の生涯を終わる。》
この高嶋嘉右衛門の業績の中で、「明治四年 鉄道事業の必要性に着目 京浜間の鉄道敷設を図る。」という箇所は注目に値するのではないだろうか。今では、汽車どころかリニアモーターカーの時代だが、汽車という存在すら認識できない明治時代に高嶋嘉右衛門がその将来を予見して鉄道を敷設を計画したということは驚くばかり。明治四年(1871)といえば、明治政府は廃藩置県を断行したばかりの頃のことになる。
新橋、横浜間を起点する鉄道が延伸していくなかで生まれた鉄道唱歌だが、その鉄道唱歌に謡われた泉岳寺に高嶋嘉右衛門が眠るというのも不思議な因縁を感じざるをえない。
そして、高嶋嘉右衛門は清国の李鴻章・袁世凱から激賞されたように「易」を発展させたのだが、意外にも、この迷信とも思われる「易」がコンピューターの原理と同じであることは知られていない。「易」は陰と陽の卦によって物事を予想していくが、これはプラスとマイナス、0と1の組み合わせで成り立つコンピューターの原理原則と同じである。欧米の科学者ですら、この「易」の存在を知って驚愕したという。
清国の李鴻章・袁世凱という宰相たちは高嶋嘉右衛門という日本の経済人であり教養人の実績を認めたわけだが、後に、日清戦争によって高嶋嘉右衛門の日本が敵国になるとは予想だにしなかったのではないだろうか。しかしながら、高嶋嘉右衛門はみずから編纂した「易」によって日清戦争の勃発を知っていたという。その日清戦争の犠牲者である「殉節三烈士」の墓が泉岳寺にあるというのも、不思議な関係と思うばかり。
もうひとつ、この泉岳寺というか、都営地下鉄「泉岳寺」駅のホームから見てもらいたいものがある。それは、この都営浅草線のレール幅が新幹線と同じ世界標準のレール幅で敷設されているということ。京浜鉄道として新橋、横浜間の日本最初の鉄道はレール幅が狭いもので敷設されているが、やがてこれが日本の標準サイズとして起伏と左右の曲がりの多い日本の鉄道網の原型となっていく。
東京の街、歴史と近代が入り混じった成長の足跡をそこここに見ることができる。
2010年02月08日
飲料メーカー経営統合の物別れから。
「どうです、差治さん」
「いやあ、そない、うまいこと、いきまっしゃろか」
「やってみなはれ、の創業者でしょ」
「しかし、それとこれとは、ちゃいまっせ」
「まあ、悪いことはしませんから」
キアンはサンカリーに経営統合の話を持ちかけた。
片や、株式公開会社、片や、株式非公開会社。
しかし、今日、両者の経営統合が「ごわさんで、願いましては」となった。
キアンビールおよびキアン関連(四菱商事)の株式を大量に保有する民衆党員と秘書、身内を含む関係者。政権取りの直前、実弾は必要だが、肝心の弾がない。ピジョンマウンテンのゴッドマザーのタイヂストン株だけでは政権は奪取できない。
底値のキアン関連株を大量に信用で買わせる民衆党関係者と立候補予定の新人と関係者。当然、南京四菱NHK銀行も信用での融資資金をふんだんに用意し、関連証券会社にも指示を出す。
衆議院総選挙前のサンカリー、キアンの経営統合発表。
突然に荒れ狂う東京証券取引所。サンカリーは非公開企業の為に、キアンビールとその関連会社の株式が暴騰する。
民衆党議員とその関係者は大沢幹事長の指示のもと、売り抜けをする。
日本全国の国民の注目を集める衆議院総選挙で東京市場のキアンビール株が暴騰し、ひそかに売り抜かれていることなど一般投資家には皆目分からない。大沢チルドレン関係者の借金まみれの選挙資金はすべて、これで帳消し、おまけつき。
大沢幹事長の政治資金規正法で民衆党の屋台骨が揺らぎ始め、記者会見が行われる。
この機会を見て、キアンビールからサンカリーに結婚話の破断申し入れが入る。
「差治さん、どうです」
「うまいこと、やりはりますなあ」
「おタクには、損は無かったでしょう」
「いや、いや、確定申告前にごわさんに持ち込みはるとは、恐れ入りました」
昨年の7月に突然に発表があった両者の経営統合話。
企業文化が異なるのに、不思議というか、物別れになるのでは?と思っていたので、特段の驚きはない。
かつて、親戚同士だったサントリーとスーパーダイエーのビール戦争を思い出しながら、こんな空想が働く。少なくとも、酔んだくれのオヤジにとって、キリンとサントリーが合体することは許せなかっただけです。
いくら麦芽100%といっても、一番絞りとプレミアム、味の格が違いすぎます。
「いやあ、そない、うまいこと、いきまっしゃろか」
「やってみなはれ、の創業者でしょ」
「しかし、それとこれとは、ちゃいまっせ」
「まあ、悪いことはしませんから」
キアンはサンカリーに経営統合の話を持ちかけた。
片や、株式公開会社、片や、株式非公開会社。
しかし、今日、両者の経営統合が「ごわさんで、願いましては」となった。
キアンビールおよびキアン関連(四菱商事)の株式を大量に保有する民衆党員と秘書、身内を含む関係者。政権取りの直前、実弾は必要だが、肝心の弾がない。ピジョンマウンテンのゴッドマザーのタイヂストン株だけでは政権は奪取できない。
底値のキアン関連株を大量に信用で買わせる民衆党関係者と立候補予定の新人と関係者。当然、南京四菱NHK銀行も信用での融資資金をふんだんに用意し、関連証券会社にも指示を出す。
衆議院総選挙前のサンカリー、キアンの経営統合発表。
突然に荒れ狂う東京証券取引所。サンカリーは非公開企業の為に、キアンビールとその関連会社の株式が暴騰する。
民衆党議員とその関係者は大沢幹事長の指示のもと、売り抜けをする。
日本全国の国民の注目を集める衆議院総選挙で東京市場のキアンビール株が暴騰し、ひそかに売り抜かれていることなど一般投資家には皆目分からない。大沢チルドレン関係者の借金まみれの選挙資金はすべて、これで帳消し、おまけつき。
大沢幹事長の政治資金規正法で民衆党の屋台骨が揺らぎ始め、記者会見が行われる。
この機会を見て、キアンビールからサンカリーに結婚話の破断申し入れが入る。
「差治さん、どうです」
「うまいこと、やりはりますなあ」
「おタクには、損は無かったでしょう」
「いや、いや、確定申告前にごわさんに持ち込みはるとは、恐れ入りました」
昨年の7月に突然に発表があった両者の経営統合話。
企業文化が異なるのに、不思議というか、物別れになるのでは?と思っていたので、特段の驚きはない。
かつて、親戚同士だったサントリーとスーパーダイエーのビール戦争を思い出しながら、こんな空想が働く。少なくとも、酔んだくれのオヤジにとって、キリンとサントリーが合体することは許せなかっただけです。
いくら麦芽100%といっても、一番絞りとプレミアム、味の格が違いすぎます。
『黄金の天馬』津本 陽 著、PHP文庫
合気道創始者の植芝盛平をモデルにした一代記。
実名と仮名が混在しているので、読み解くのに少々予備知識を要するが、日本という国が歩んだ時代の一つが描かれている。
当然、高島隆之助こと植芝盛平の「強さ」を求める姿勢、技を極めるにあたっての葛藤、そして、人間というか男としての欲望までもがおもしろい。
この本は昭和62年(1987)に文春文庫として発刊されていて、古書店街などで探していた一冊だったが、平成21年(2009)12月に再刊されたもの。読んでみたかったものの、入手できずにいた本だったので、見つけた時の喜びは一入だった。
こういう、武道に関する本が再刊されるということの背景は何なのか。
それは、優勝劣敗、拝金主義、勝ち組負け組に対する警鐘なのではと思った。
その象徴が今回の朝青龍の事件と思う。いつかは、こういう結果になるであろうとは思っていたが、誰もが止めることのできなかった朝青竜の暴走。
武道には「心、技、体」が求められるが、その前に「礼節」ということが最も尊重される。道を究めるには、ただ、強ければ良いということだけではないこと。日本という国ではただ腕力だけが強いだけでは尊敬の対象にならないことを、本書が示している。
「強さ」を求めた男が、真の強さとは何かを悟った物語だが、小説としても指南書としても読める内容となっている。
実名と仮名が混在しているので、読み解くのに少々予備知識を要するが、日本という国が歩んだ時代の一つが描かれている。
当然、高島隆之助こと植芝盛平の「強さ」を求める姿勢、技を極めるにあたっての葛藤、そして、人間というか男としての欲望までもがおもしろい。
この本は昭和62年(1987)に文春文庫として発刊されていて、古書店街などで探していた一冊だったが、平成21年(2009)12月に再刊されたもの。読んでみたかったものの、入手できずにいた本だったので、見つけた時の喜びは一入だった。
こういう、武道に関する本が再刊されるということの背景は何なのか。
それは、優勝劣敗、拝金主義、勝ち組負け組に対する警鐘なのではと思った。
その象徴が今回の朝青龍の事件と思う。いつかは、こういう結果になるであろうとは思っていたが、誰もが止めることのできなかった朝青竜の暴走。
武道には「心、技、体」が求められるが、その前に「礼節」ということが最も尊重される。道を究めるには、ただ、強ければ良いということだけではないこと。日本という国ではただ腕力だけが強いだけでは尊敬の対象にならないことを、本書が示している。
「強さ」を求めた男が、真の強さとは何かを悟った物語だが、小説としても指南書としても読める内容となっている。
こども副社長、はにかみ社長。
「素人的には違和感を覚えるかもしれず」
トヨタ自動車の副社長がプリウスのブレーキの効きについての会見コメント。
トヨタ自動車のユーザーは素人という常識を考えれば、トヨタはレーサー向けの車を製作しているということか。ということは、プロ仕様の割高の自動車を買わされているということになる。
この副社長の発言内容、「こども」。
そして、最高責任者の社長は会見に現れず、「はにかみ」。
トヨタ自動車のテレビCMはまさに現在のトヨタ自動車の体質、そのまま。
「こども」と「はにかみ」。
10年前からのトヨタ車ユーザーとしてノアに乗っているが、フロアマットが運転中にずれて、アクセルペダルの下に食い込み、アクセルを踏み込めないことが多々ある。マジックテープで止めるタイプだが、運転席のフロアマットだけでもフック式にしたほうがよいのではと思った。
せっかく、地球環境に配慮したプリウスだったのに。
言葉は神(かみ)、といわれるが、今回、言葉は紙(かみ)になってしまった。
いずれにしても、はに(かみ)社長、前面に出て会見すべきでしょう。
そのとき、「あれは、副社長に任せていて、私は何も関与していない」などと小沢君のような言い訳は言わないように。
トヨタ自動車の副社長がプリウスのブレーキの効きについての会見コメント。
トヨタ自動車のユーザーは素人という常識を考えれば、トヨタはレーサー向けの車を製作しているということか。ということは、プロ仕様の割高の自動車を買わされているということになる。
この副社長の発言内容、「こども」。
そして、最高責任者の社長は会見に現れず、「はにかみ」。
トヨタ自動車のテレビCMはまさに現在のトヨタ自動車の体質、そのまま。
「こども」と「はにかみ」。
10年前からのトヨタ車ユーザーとしてノアに乗っているが、フロアマットが運転中にずれて、アクセルペダルの下に食い込み、アクセルを踏み込めないことが多々ある。マジックテープで止めるタイプだが、運転席のフロアマットだけでもフック式にしたほうがよいのではと思った。
せっかく、地球環境に配慮したプリウスだったのに。
言葉は神(かみ)、といわれるが、今回、言葉は紙(かみ)になってしまった。
いずれにしても、はに(かみ)社長、前面に出て会見すべきでしょう。
そのとき、「あれは、副社長に任せていて、私は何も関与していない」などと小沢君のような言い訳は言わないように。
2010年02月07日
東亜同文書院のはじまり
日清貿易研究所は荒尾精という元陸軍諜報部隊の将校が上海に設立した学校という。日本と清国(中国)との間で貿易を盛んにし、提携できる人材養成を目的として作られたという。残念ながら、この日清貿易研究所を創設した荒尾精は明治29年(1896)に台湾でペストに罹って亡くなってしまったという。玄洋社の頭山満などは「一人を以て千万人を制する」人物として高く評価していたそうだが。
この日清貿易研究所の卒業生は中国語に熟達しているだけではなく、中国全土を歩いて調査をしており、まさしく、日本人でありながら中国人よりも中国人らしいと言われるほど見分けがつかなかったとか。たまたま、日清戦争が勃発したときには日本軍に軍事探偵や通訳官として徴用されたのだが、学校の創立理念に関係なくこのことが後々までスパイ養成学校と誤認されてしまうのが残念でしかたない。日清戦争前、続々と朝鮮に兵員を送り込んでいる清国の情勢を「殉節三烈士」の山崎恙三郎たちが日本軍に通報していたが、このことから東郷平八郎が清国の傭船「高陞号(こうしょうごう)事件」を国際法に基づいて処分した事件につながるのではと思うことがある。清国が天津条約に違反して、朝鮮に兵員を送り込んでいることを東郷平八郎が事前に知っていたから、冷静沈着に決断できたのではと。
この「殉節三烈士」の三人は清国兵に見つかって処刑され、日清戦争後に遺骸の確認のために掘り返されたそうだが、その確認の手掛かりとなったのは生き残った向野堅一が三烈士の一人と目印として足首に巻いていた布切れが一致したからという。この三人が処刑された件は日本陸軍の第二軍幕僚であった根津一(ねづはじめ)の知るところとなり、根津によって遼東半島に三人の墓所を設けることになった。ところが、ロシア、フランス、ドイツによる三国干渉によって台湾とともに割譲された遼東半島は清国に返還されることになった。そこで、遼東半島にあった「殉節三烈士」の墓が高輪の泉岳寺に移されることになったという。
この「殉節三烈士」を生みだした日清貿易研究所の前身として、岸田吟行が上海に開いていた楽善堂というクスリ、書籍、雑貨を販売する店の漢口支店員として荒尾精は中国大陸全土を踏破したそうだ。第二軍幕僚であった根津一が軍属とはいえ、これほど「殉節三烈士」を手厚く遇するのは何故だろうと思っていたが、荒尾精と根津一は陸軍士官学校時代からの盟友だったと知って、そういうことだったのかと合点がいった次第。
その後、上海に東亜同文書院という学校が設けられたが、その初代、三代の院長に根津一が就任し、盟友荒尾精の衣鉢を継ぐことになる。日本の敗戦後、この東亜同文書院は愛知県豊橋市に今も残る愛知大学につながっているのだが、ここに『向野堅一(こうのけんいち)従軍日記』として日清戦争時の記録が残っているという。
現在、福岡県直方市には向野堅一顕彰会によって向野堅一記念館が設けられたと聞いている。ちなみに、向野堅一の先妻、後妻はともに大分県の日田にあった咸宜園の廣瀬淡窓(ひろせたんそう)の末裔という。
この日清貿易研究所の卒業生は中国語に熟達しているだけではなく、中国全土を歩いて調査をしており、まさしく、日本人でありながら中国人よりも中国人らしいと言われるほど見分けがつかなかったとか。たまたま、日清戦争が勃発したときには日本軍に軍事探偵や通訳官として徴用されたのだが、学校の創立理念に関係なくこのことが後々までスパイ養成学校と誤認されてしまうのが残念でしかたない。日清戦争前、続々と朝鮮に兵員を送り込んでいる清国の情勢を「殉節三烈士」の山崎恙三郎たちが日本軍に通報していたが、このことから東郷平八郎が清国の傭船「高陞号(こうしょうごう)事件」を国際法に基づいて処分した事件につながるのではと思うことがある。清国が天津条約に違反して、朝鮮に兵員を送り込んでいることを東郷平八郎が事前に知っていたから、冷静沈着に決断できたのではと。
この「殉節三烈士」の三人は清国兵に見つかって処刑され、日清戦争後に遺骸の確認のために掘り返されたそうだが、その確認の手掛かりとなったのは生き残った向野堅一が三烈士の一人と目印として足首に巻いていた布切れが一致したからという。この三人が処刑された件は日本陸軍の第二軍幕僚であった根津一(ねづはじめ)の知るところとなり、根津によって遼東半島に三人の墓所を設けることになった。ところが、ロシア、フランス、ドイツによる三国干渉によって台湾とともに割譲された遼東半島は清国に返還されることになった。そこで、遼東半島にあった「殉節三烈士」の墓が高輪の泉岳寺に移されることになったという。
この「殉節三烈士」を生みだした日清貿易研究所の前身として、岸田吟行が上海に開いていた楽善堂というクスリ、書籍、雑貨を販売する店の漢口支店員として荒尾精は中国大陸全土を踏破したそうだ。第二軍幕僚であった根津一が軍属とはいえ、これほど「殉節三烈士」を手厚く遇するのは何故だろうと思っていたが、荒尾精と根津一は陸軍士官学校時代からの盟友だったと知って、そういうことだったのかと合点がいった次第。
その後、上海に東亜同文書院という学校が設けられたが、その初代、三代の院長に根津一が就任し、盟友荒尾精の衣鉢を継ぐことになる。日本の敗戦後、この東亜同文書院は愛知県豊橋市に今も残る愛知大学につながっているのだが、ここに『向野堅一(こうのけんいち)従軍日記』として日清戦争時の記録が残っているという。
現在、福岡県直方市には向野堅一顕彰会によって向野堅一記念館が設けられたと聞いている。ちなみに、向野堅一の先妻、後妻はともに大分県の日田にあった咸宜園の廣瀬淡窓(ひろせたんそう)の末裔という。
小野篁(おののたかむら)
大宰大弐 歌人・国文学者 従三位 参議
いろいろ物議を醸した人として名前が登場するが、冥土の閻魔大王の側近でもあったという話はおもしろい。魑魅魍魎の世界に遊ぶことができる人。
小野小町(おののこまち)の祖父といわれる。
いろいろ物議を醸した人として名前が登場するが、冥土の閻魔大王の側近でもあったという話はおもしろい。魑魅魍魎の世界に遊ぶことができる人。
小野小町(おののこまち)の祖父といわれる。
2010年02月06日
『「横浜」をつくった男』高木彬光 著、光文社文庫
本書の主人公である高嶋嘉右衛門という人物の名前は『高嶋易断』の易者としてしか知識はなかった。ところが、赤穂浪士の墓があることで有名な東京港区泉岳寺に行った時、偶然にも高嶋嘉右衛門の墓を見つけたのだが、清国の宰相である李鴻章が激賞していたということが墓前のプレートに記してあった。
そして、別の霊能者の本にも高嶋嘉右衛門の名前があり、易者といえども霊能力を備えていた人とわかる。
さらに、東京墨田区にある木母寺(もくぼじ)に行ったとき、境内の碑に高嶋嘉右衛門の名前を見つけるのだが、そこから明治期の財界人であったことがわかる。
高嶋嘉右衛門は伊藤博文の暗殺を予言し、犯人像まで見えていたようで、犯人の名前の一部まで伊藤博文に予告していたというが、その詳細は本書に詳しい。
本書のタイトルが「横浜を作った男」となっているが、現在の横浜市西区高島の高島はこの高嶋嘉右衛門からとられたものという。さらには、横浜市営地下鉄「新高島」駅もそうという。
明治の元勲と親しく、商才に長けていれば財閥をなしてもおかしくはないが、彼は早々に易経の研究に没頭してしまった。お金よりも、真実を極める方が人生の優先課題だったのだろう。
本書の著者はもともと推理作家だが、易の研究家でもあるという。
推理と占いがセットになった本がおもしろくないはずがない。こんな偶然もあるのかと思いながら、必然だったのか、などと推理しながらの読書は楽しかったの一言に尽きる。
そして、別の霊能者の本にも高嶋嘉右衛門の名前があり、易者といえども霊能力を備えていた人とわかる。
さらに、東京墨田区にある木母寺(もくぼじ)に行ったとき、境内の碑に高嶋嘉右衛門の名前を見つけるのだが、そこから明治期の財界人であったことがわかる。
高嶋嘉右衛門は伊藤博文の暗殺を予言し、犯人像まで見えていたようで、犯人の名前の一部まで伊藤博文に予告していたというが、その詳細は本書に詳しい。
本書のタイトルが「横浜を作った男」となっているが、現在の横浜市西区高島の高島はこの高嶋嘉右衛門からとられたものという。さらには、横浜市営地下鉄「新高島」駅もそうという。
明治の元勲と親しく、商才に長けていれば財閥をなしてもおかしくはないが、彼は早々に易経の研究に没頭してしまった。お金よりも、真実を極める方が人生の優先課題だったのだろう。
本書の著者はもともと推理作家だが、易の研究家でもあるという。
推理と占いがセットになった本がおもしろくないはずがない。こんな偶然もあるのかと思いながら、必然だったのか、などと推理しながらの読書は楽しかったの一言に尽きる。
ファイナンシャルプランナーとは。
現在のように日経平均の株価が1万円前後が嘘のような時代があった。それこそ、39000円という天井知らずのバブル期のことだが、誰もが株を買うのが当然、土地を買わないのは馬鹿といわれた頃だった。
誰もが株、土地を買い込んでいたが、有名芸能人、とりわけ演歌歌手の方が有名だった。信じられないような大金を手中にし、カネにはオンナが付き、有名な金髪歌手とも離婚してしまった。
その後、バブルは崩壊し、演歌歌手は破産し別れた金髪歌手は住んでいた自宅も前夫の演歌歌手の担保物件であったために、住む家も無く追われるようにしてアメリカに帰ってしまった。
この演歌歌手と金髪歌手に親しかった人が言うには、いくらバブルとはいえ演歌歌手があれほどの大金を運用することは困難である。
しかし、金髪歌手のファイナンシャルプランナーが演歌歌手に指南していたから、信じられない大金を運用することができたという。ところが、離婚してからは金髪歌手お抱えのファイナンシャルプランナーの情報を得ることができず、没落したのだという。金髪歌手は世界的な楽団の専属歌手でもあったが、その出演料を運用、指南していたのがお抱えのファイナンシャルプランナーだった。
金髪歌手の方、アメリカに残していた資産で余生を過ごしているそうだ。
ふと、資産家でもある朝青龍と演歌歌手との姿がだぶって見えて仕方ない。
「富貴は天に積め」という言葉は死語になってしまったのだろうなあ。
ファイナンシャルプランナーは資産運用のアドバイスだけではなく、富貴についてもアドバイスしてあげるべきではと、ファイナンシャルプランナーの雑誌を読みながら思った。
誰もが株、土地を買い込んでいたが、有名芸能人、とりわけ演歌歌手の方が有名だった。信じられないような大金を手中にし、カネにはオンナが付き、有名な金髪歌手とも離婚してしまった。
その後、バブルは崩壊し、演歌歌手は破産し別れた金髪歌手は住んでいた自宅も前夫の演歌歌手の担保物件であったために、住む家も無く追われるようにしてアメリカに帰ってしまった。
この演歌歌手と金髪歌手に親しかった人が言うには、いくらバブルとはいえ演歌歌手があれほどの大金を運用することは困難である。
しかし、金髪歌手のファイナンシャルプランナーが演歌歌手に指南していたから、信じられない大金を運用することができたという。ところが、離婚してからは金髪歌手お抱えのファイナンシャルプランナーの情報を得ることができず、没落したのだという。金髪歌手は世界的な楽団の専属歌手でもあったが、その出演料を運用、指南していたのがお抱えのファイナンシャルプランナーだった。
金髪歌手の方、アメリカに残していた資産で余生を過ごしているそうだ。
ふと、資産家でもある朝青龍と演歌歌手との姿がだぶって見えて仕方ない。
「富貴は天に積め」という言葉は死語になってしまったのだろうなあ。
ファイナンシャルプランナーは資産運用のアドバイスだけではなく、富貴についてもアドバイスしてあげるべきではと、ファイナンシャルプランナーの雑誌を読みながら思った。